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2005/08/30

人権擁護法案

遅きに失した感がありますが,ちょっと思い付いたので。
前に指摘したかも知れませんが,人権擁護というのは「権力による人権侵害から民間人を守る」ためのものであるべきだと思います。
民間人が別の民間人の人権を侵害するような場合には,殺人罪だの暴行罪だの脅迫罪だの,別の法律,通常の法律でもって裁くべきなんであって。権力者がその権力を行使しようとした場合,本質的に,本来的に人権は侵害せざるを得ない。だからこそ,権力の行使にあたっては様々な制限がつけられ,厳密な手続き遵守が求められるわけです。しかし,従来その制限の部分に権力者側の恣意がかなり大きく認められていたわけです。国連のなんとかかんとかが求めているのもその点であったはずです。

その意味において,人権侵害が行われていないか監視するなんてのは,監視対象を権力者に限定するべきということこそが肝のように思います。例えばHP上での記述が人権侵害に当たると判断される場合,その記述が権力者によるものであることが分かるとすれば(明示的でなかったとしても)人権侵害として扱われるべきだと思います。
逆にいえば,一般人が何を言っていたとしても,権力でもってそれを規制するなどもってのほかだと思うのです。
報道機関に対する規制を制限すべきという論もおかしい。報道は「第四の権力」という言葉を引くまでもなく,一般民間人に対して極めて大きな力を持っています。
田中真紀子さんの娘の問題は印象的でした。週刊文春の販売差し止めの仮処分は認められたものの,流通してしまった分の回収は完全にはなされず,というか,確か普段より売れたんじゃないかと記憶しています。所属タレントを全員引き上げるぞ,なんていう脅しをかけることのできない普通の人間にとって週刊誌に離婚の事実を暴露された場合,それをとめるすべなどないのです。最後のとりでと裁判所に駆け込んでも,彼等は味方となるジャーナリストや文化人のペンの力を結集し,反論します。彼等は確かに,一般人の及ぶべくもない力を持っている。だとすれば,彼等もまた「人権擁護法」の網で規制されるべきではないのか。

まとめます。
規制は力の強いものにかけるべきなのです。その点は誰も反論しないでしょう。僕がここで、さらに強調したいのは「正しいものこそルールを守るべし」ということです。ルールを守るものこそが,「正義」を主張できる。だからこそ、真っ当な報道機関はルールに縛られ,その網の中でなおかつその力を振るうべきなのではないかと。

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